昔話:はじめてのマスタリング

何となく文字が書きたい気分なので昔のプレイレポを書いてみようと思う。
TRPGの面白い特徴のひとつは、各セッションがそれぞれ独特で、どんなプレイレポもそれなりに面白い点なんじゃ
ないかなーと思うから。


○○○
私が始めてマスターをしたのは、うん十年前。
元々は天文少年だった私は、その後ギリシャ神話>ファンタジー物という段階を踏んでD&Dに転んだ。


当時子供だった私にとって\4.800の赤箱(古いD&Dは、赤いボックスだったのでこう呼ぶ。更に古いと話は変わるが)は
大変高価な買い物だったがお年玉貯金をはたいて即買いしたのは、何が原因だったんだろうか。



友人4人と一緒に赤箱を買いに行った私はそのまま家に戻り友人達に紙と鉛筆を用意させ、自分はプレイヤーズマニュアルを
開いておもむろにこう言った。


チビでみ:「えーっとまず、ストレングスって書いて・・・」


プレイヤーズマニュアルには、ゲームブック形式の冒険が(もちろん1人用)ついていて、序文をすっかりすっ飛ばし、
もう一冊ついていたダンジョンマスターズルールブックには目もくれなかなった私は、おもむろにパラグラフの一つ目を
読み出しだのである。


D&Dの赤箱の裏には、4-5人で遊べるような記述があったのにもかかわらず、ソロの冒険が続くマニュアル内容に
ちびでみの頭は大混乱。
「これって、複数で出来るゲームブックみたいなのじゃないんだっけ?」と聞いても友人も分かるわけが無い。
そこでちびでみは、ざっくり言い切った。


「明日までに読んでおくから、待ってて」


えー、つまり、初回のマスタリングは、いきなり企画倒れになったっつーことで、ひとつ<おぉ。
今考えると堂々としたものだ。


○○○
TRPGのTの字どころかファミコンも持ってなく、ゲームブックも数冊しか遊んでおらず、さっぱり手がかりの無い
状態で、明日は初DMという絶体絶命のピンチ。


けれど、頭の回転速度において現在の3倍ほど優れていたチビでみは、そもそもピンチだとすら思っていなかった。
ざーっと、プレイヤーズマニュアルとダンジョンマスターズルールブックを流し読みし(あの分量を、しかも微妙な
和訳を気にせず、流し読みできたのは文学少年でもあったからかなぁ)、チビでみはあっさり理解した。


ちびでみ「つまり、僕はモンスター役なんだね」


ゲームマスターの目的がどーしたとか、セッションのストーリー性とは何かとか、RPGはロールプレイなんだから役割を

演じる為には、とか、ゲームとしての有用性とかなんとか、難しい事は何にも考えなかった。
・・・責めてはいけない。 ルールブックを除けば、本当に手がかりは何も無かったんだから。


○○○
そして、マスタリング二日目。


友人1 「トリカブトって毒? ダメージ書いてないよ?」
ちびでみ「いや、狼男にペチペチつけると本性が出るんだって。なんだろね」
友人2 「魔法使いの最初の魔法って、リードマジックしか持てないんだっけ?」
ちびでみ「うん。魔法書に一つしか魔法なくって、リードマジックが無いと今後魔法が増えない」


なんとか適当にPCを作成して付属のシナリオに突入。
最初は古い屋敷の巨大な門の前。 門の下にはへっこみがあり、そこにはキャリオンクローラーが潜んでいる。


友人’s「突撃〜!」
ちびでみ「キャリオンクローラー8回攻撃。 しかも麻痺付き〜!」
友人A 「ST判定失敗! 行動不能〜!」
友人B 「同じくST判定失敗! 行動不能〜!」
友人’s「にげろ!」


記念すべき私の初マスター、初戦闘はPCの敗北から開始されました。
ちびでみ、容赦ねーなぁ。


○○○
数分麻痺が解けるのを待ってゲーム再開。
白熱した議論の結果、戦士の腰にロープを巻き、麻痺したら引きずり戻すという作戦に。


・・・で。 イニシアティブ(先攻後攻決定)と、攻撃命中、対麻痺判定を繰り返す事10回少々。
パーティは見事に最初のモンスターを倒すのに成功するのでした。


友人’s「ねぇ。お金は持ってないの?」
ちびでみ「えーっとね、財宝はBクラスのがあるのかな」
パーティの頑張りに満足して、シナリオを無視って財宝の所持判定をし始める、ちびでみ。


友人’s「フローティングディスクの巻物って何?」
ちびでみ「空飛ぶに運び用円盤が呼べる魔法」
友人’s「いらないから売る。 いくら?」
ちびでみ「(ルールを読む)巻物の値段書いてないな〜。(1d4を振る) 2か。じゃあ2000GP」
ルールに魔法の値段が書いてないとみるや速攻で適当に決める、ちびでみ。


・・・この柔軟性は、どうよ。


○○○
今、振り返るとさすがに恥ずかしいほど無知だった、と思う。
もっとスマートなマスタリング方法も、ルール運用のミスも幾らでも上げる事が出来る。


でも、それでも、マスターとして一番大切な何かはしっかり掴み取る事が出来た。
それが何だったかは上手く言葉にならないけど、そんな気がする。
そういう意味では、子供の頃の自分の初のマスタリングは自分に誇れる物だった気がする。