GameDay


ここをご覧の方は既にご存じの方も多いでしょうが、今年も09 GameDayが開催されます。


今年もBIT(初心者迎撃チーム)でやるぜ!'09 GameDay!
場所は秋葉原のR&Rステーション、開催は10/10〜10/12の3日間、プレイルーム貸し切り。
参加受付はこちらにお願いします。
http://jbbs.livedoor.jp/game/48983/


《参考》
R&Rステーションさん 
http://www.arclight.co.jp/r_r_s/index.html


HJによる'09 GameDayの説明 
http://www.hobbyjapan.co.jp/dd/news/dnd_gameday/2009.html



で。
今回は11レベルPC5人でのセッションなのですよ。


しかもプレロールド・キャラクターが「ドラゴンボーン/パラディン 」「ウォーフオージド/バーバリアン」「ドラウ/アベンジャー」「ティーフリング/インヴォーカー」「ノーム/バード」というPHB2から引っ張ってきたキャラなので(ドラゴンボーン/パラディンはともかく)結構、運用に戸惑ったりするんじゃないかと(余計なお世話ながら)心配してます。


一応、(勿論和訳した)プレロールド・キャラクターの事前公開とか、運用のポイントになる物を公開したいとBITでも話しているのですが、色々と権利の問題があって中々簡単に行かないのが悩み所。


wizards社がどこかに今回のプレロールド・キャラクターを英語ででも公開してくれてたら話は早いのだけど、ちょっと見た限りでは見つからないんだよね。むむむ。


キャラ構成ですら現在のwizards社のサイトには既に公開されて無いみたいなんだけど、これは以前は公開されてたみたいだから公開しても良いでしょう。



と言う訳で、怒られない範囲での紹介を。


まず何と言っても「POPUP TRPG」さんのwebサイトが充実してます。
最初にここを読んでおくと当日もだいぶ気分が楽になると思われます。
特に「D&D第4版『プレイヤーズ・ハンドブック2』予習記事」を参照して貰うのが一番事前準備になります。


TOPページ
http://blog.livedoor.jp/trpgnews/


D&D第4版『プレイヤーズ・ハンドブック2』予習記事1
http://blog.livedoor.jp/trpgnews/archives/599788.html



今回のパーティ構成で特徴的なのがアベンジャー。


1対1の戦闘のスペシャリストなので「唯一の隣接した敵」に対しては強いので、普通に考えると、アベンジャーと敵を1対1にしてあげれば良さそうに見えるのですが、実はそれが最適解か?というと疑問がある。
あんまりキッチリ1対1にしちゃうと、こっちの戦力が分散するのよね。
同じ敵を集中攻撃できないと、何かと大変な事が多いのはお分かりでしょう。


しかし要は「パワーを使用する瞬間」にアベンジャーが一対一であれば良い訳です。


…賢明な読者諸君にはもうお分かりでしょうが、他のPCが敵や味方を動かすパワーを駆使して、この状態を作ってあげる事ができれば、より効果的な戦いができる訳です。
今回のPC達だとバートとインヴォーカーがその辺の技に通じています。



また、今回忘れがちだなーと思ったのはアイテムの使用回数。


「11LVなので一日毎アイテムを2個まで使用できる」と言うのを忘れがち。
(というか私は忘れた)
ちなみに「マイルストーンに達する毎に追加で、1個の魔法のアイテムの一日毎パワーを使用できる」と言うのも覚えておきましょう。



私が気に入ってたのはインヴォーカーなのですが、これが範囲攻撃もでますが、結構、減速とか転倒など状態異常を与えるパワーが多彩です。
4版も小さな修正を積み上げて行くゲームですから、この辺はきちんと管理しましょう。
「あー、あのペナを適応するの忘れてた」みたいな事が良くあります。



んー、具体的なパワーの名前をあげて話せないのって辛いな。
どこかにプレロールド・キャラクターが公開されたら、また少しでも参考になる事を考えて話しますね。

 GMとルールの責任範囲

xenothさんにコメントを戴きました。


私の言葉の定義や用語選択がまずくて意図が伝わって無いのか、そもそも論理展開が無理があっておかしいのか
良く分からないので、もう一度書き直してみましょう。


おっと、その前に。


私は、TRPGシステムに一律な優劣をつけてる訳ではなく、どのシステムがどんな運用に向いているか、
何のルールがどんな影響を生むのかを検討して述べているだけで、個別攻撃の意図はありません。
ご不快になられた方がいたらごめんなさい。



セッションには「ルール(やデータ)で設定されてる部分」と「GMが設定する部分」があります。


この内、「GMが設定する部分」が多ければ、その分結果に対するGMの影響も大きくなります。


その為、セッションの結果に対して不満が出た場合GMの影響も大きくなるので、GMとしては
コンベなどの一期一会の場所では、セッション結果に不満が出ないようなバランスにしがちである
(全てではないし、仲間内でのセッションも除く)。


と言うのが、前回の主旨です、



具体例で行きましょう。(ネタバレを含みます)


D&D3.5eのリプレイである「若獅子の戦賦-雷鳴山編」ではボスキャラとして悪神グルームシュの化身が登場します。
アレは公式のデータがあり、部分改造するにも改造する為のルールが存在します。


アリアンロッドリプレイである「ノエルと蒼穹の未来」ではボスキャラに神竜ゾハールが登場します。
あのデータは、時のGMであるきくたけさんが用意した物です。


グルームシュの場合、PC達に勝つ可能性があるかどうかは、GM個人のバランス感覚とは無関係に、ルールやデータが保証しています。
それはGMがルールに定められた脅威度の敵を出しており、グルームシュのデータがゲームバランスに沿ってデザインされていれば、GM個人のバランス感覚に影響されません。


翻って、神竜ソハールにPC達に勝つ可能性があるかどうかは、GM個人のバランス感覚が保証しています。
神竜ソハールのHPを420点にするか600点にするかはGM次第になります。


勿論、GMは適切なバランスになるようにデータを用意するでしょうが、それはGMのバランス感覚に依存します。


※実際のリプレイでは、実に見事な(しかも偶然だけではない)バランス感覚を発揮したきくたけさんの腕が光り、大変スリリングなセッションを繰り広げられていました。



これらは、アリアンロッドでもDX3でも同じ事です。


オリジナルデータやルールを使用しなくても良いシステムの方が、GM個人のバランス感覚に対する信頼性に依存する量が少ないでしょう。


別に、DX2や、カオスフレアの戦闘が曖昧である、と言ってる訳ではありません。


ただ、オリジナルデータを作る事が多く、オリジナルデータが強すぎてセッションを壊さない様にする為にデータを弱めにする事が多いね、と言うだけの話です。


また、私はGMが適切なバランス感覚を持っていれば、DX2でガチ戦闘をする事も可能だとも可能だとも考えています。
というか、リプレイのガチさ(特に矢野GMさんガチさ)には戦慄しますね(笑)


○○○
以下、雑記


んー、信頼性、と言う言葉が悪かったかな?
勝利の可能性がデータ的に保障されているとか、書くべきだっただろうか。


ちなみに、私はルールやデータが多ければ多い方が良い、とは思ってません。
オリジナルデータを入れる事でGMの独創性が発揮されるのは素晴らしい事だし、正直D&D3.5eはルールやデータが多すぎてウザい事も多々あります(笑)
ただ、まぁ、傾向として、というか、システムの特性ってあるよね、って話です。



えーと、また大幅に主旨から外れますが、じゃんけんの例えで言うなら。


審判がいて「どっちが強いかは審判が判定する」というルールでジャンケンをしたなら、
通常のジャンケンよりはルール、データは更に少ない上に、システムは更に単純ですね。


このジャンケン(?)の結果は「審判が適切な判定をしている」という信頼が無いと成り立たないでしょう。


…うお、たとえ話が更に分かりにくくなった。スミマセン。

 TRPGでの戦闘競技性


○○○
・競技性とは、信頼性に支えらるものである。
(ルールが存在しない遊戯は競技として成立しない)


TRPGにおける信頼性は、マスターに対する物とルールに対する物がある。


D&Dは他のシステム(例えばダブルクロスやカオスフレア)と比較して、データが多く、ルールも多く、戦闘システムも厳密な為、ルールに対する信頼性が高い。


・マスターに対する信頼性が保障されれば、TRPGに競技性を実現できる。


・ルールに対する信頼性が保証されれば、DMに対する信頼性が無くてもTRPGに競技性を実現できる


・ゆえに、D&Dは他のシステムより競技性を実現できる事が多い


○○○
要するに、TRPGシステムでオリジナルの能力や設定、データを作るシステムの場合、戦闘バランスは、そのままマスターのバランス感覚が反映される。
その結果、マスターはPC達が死亡した場合などの責任を高い割合で負担する事になる。
この責任を重く感じるマスターは、戦闘バランスを緩めにする事が多く、そこでは競技性が低くなる。


逆に、マスターがオリジナルデータで厳しい戦闘バランスを実現した場合でも、PL側に「このバランスはマスターの横暴ではない」という信頼があり、マスター側に「このバランスでも自分の横暴ではないとPL達が信頼してくれている」という信頼があれば、厳しい戦闘バランスを維持し、その結果を「競技の結果」として双方受け取る事が出来る。


具体例としては、多くのコンベでは上記のようなマスターとPLの信頼が出来てない場合が多いので、多くのマスターはリスク管理の一環として前者の緩いバランスにする事が多い。
後者の例は、リプレイなどに見られるセッションが該当するし、プライベートでのセッションであれば、同様に厳しい戦闘を潜り抜けている卓も多く存在すると想定できる。



コレに対して、D&D3.5eの様に和訳されたモンスターマニュアルだけでも3冊+1冊あるシステムではオリジナルの敵を作る必要が無く、敵を強化する方法もルールに規定してあり、
これらを逸脱したオリジナルモンスターを作るマスターはほぼ居ない。
また敵の強化した場合の制限も脅威度と言う形で規定してある。
この為、戦闘バランスに対する責任の一定量をルール側に求める事ができる。
その結果、マスターもPLも「ルールを順守しているのであればルールに準拠した戦闘バランスになる」という信頼を持つ事ができ、厳しい戦闘バランスとその結果を「競技の結果」として受け取る事が出来る。


これが具体例として現れるのは、コンベ終了時のセッション報告などでD&Dでは「今日はPCを3人倒しました!」などと言って拍手喝采を浴びる状況が散見できる事であろう。(特殊例である可能性は否定しない(笑))


○○○
まぁ、本当のことを言うとD&D3.5eの脅威度もまた抜けの多いルールなので、DMがPLを蹂躙するのは簡単ではあるが、他のシステムに比べればPLが対抗できる範囲は広いだろう。
ただ、D&Dを遊ぶビギナーさんのかなりの割合でD&D3.5eの競技性に興味を引かれている気がするので、その競技性はどっから来るのかなーと思って書いてみた。
いわゆるFEARゲーだって超ガチな戦闘をする事は可能なのだけど、それを望んでいないPLさんが居る可能性があるので、FEARゲーでガチセッションをするのは、それ相応の準備が必要となるんだよね。(例えばガチGMとして名を売る、とか(笑))


と言う訳でD&Dの有利な点はデータ量に支えられたルールへの信頼性であり、それを生かす為に「ガチ」に努めるのが賢い運用かも知れないなー。
(勿論、それ以外を認めない、という意味では無いが)


●●追記●●
…ごめん。2ch見て、ようやく分かったわ。

その意図は無かったんだけど、確かにコレは「D&Dがサイコーなのだ!」と言ってるように見えたかも知れん。変な事書いて申し訳ない。

言いたかったのは「D&D3.5eはボードゲームっぽく遊べるよな」という程度の話なんだ。
別に「まよキンボードゲームっぽく遊べるよな」でも良いんだけど。
詳しくは翌日書いた日記の方へどうぞ。

(先月行ったカオスフレアとD&Dのコンベを比較した印象の感想が元だったから、つい)
(おっと、念のため言っておくと、これも「まよキン至上!」とか言ってる訳では無い)

 技能チャレンジ募集中だとか


オンライン同人サークル「仔だぬき蕎麦」さんの処が「技能チャレンジ」を募集してる。
http://blog.livedoor.jp/kodanukisoba/


今のD&D 4版に何が必要かって言うと、明らかに遭遇や技能チャレンジの数だと思っているので、これは千載一遇のチャンスと言うもんでしょう。


と言う訳で、技能チャレンジを色々考える日々。勿論、応募する為だ。


「チキチキ馬車、猛烈レース!」と、あともう一個ダンジョン物を考えているのだけど上手く形に出来るかな。

モンハン 4th

モンスターハンターを遊んでるのだけど、これってD&D4thのシナリオにしたら結構遊べるかもしれん。


○○○
飛竜 討伐依頼


遭遇1:狩猟場を掌握せよ!
飛竜を狩るのに邪魔になる他の肉食獣を排除する。
戦闘:雑魚と中ボスくらいで。


遭遇2:狩猟罠を設置せよ!
飛竜の気をそらしている間に落とし穴や樽型爆弾などを設置する。
技能チャレンジ:成功した分だけ次の戦闘で爆弾使用可。


遭遇3:痛撃を与えて撃退せよ!
この時点では飛行能力や堅い装甲があって極めて不利なので、設置した罠を利用して痛撃を与える。
戦闘:一定ダメージを与えると撤退する。この時点では与えたダメージとギミックによって最終戦闘の難易度が変化する。


遭遇4:断崖絶壁を踏破せよ!
撤退した飛竜の住処に潜入するために、断崖絶壁をよじ登る。
技能チャレンジ:他の肉食獣を回避しつつ頑張る


遭遇5:最終決戦!
戦闘:ガチ戦闘。


○○○
やー、別に4thに限らずT&Tでも出来る事は出来るんだけどね。
グリッド戦闘でありながら、便利呪文があんまりない4thになら向いてるかも。

コンベションの限界

コンベのダメな処も書くべきじゃね?という話を聞いて納得したので少し。



TRPGを遊ぶ方法としてのコンベションには、継続性と言う意味で限界がある。
要するに「同じ人と末長く遊ぶ」には向いてない、と言う事だ。


コンベで「この人と気が合うな」と思っても、その後同じサークルに入ったりしない限りは中々卓を一緒にする機会がないので、そんな風に思うのだ。


(もしかしたらNEXTのように隔週で開催されているコンベなら違うかも知れないが、アレはアレで一種のサークル活動ではなかろうか)



で、じゃあ、何故「同じ人と末長く遊ぶ」必要があるかと言うと、熟練度と言う話になる。


○○○
TRPGに「熟練度が必要か?=学習が必要か?」と言う話も、延々と続く命題だ。


私は別に苦行主義者では無いので「D&Dを遊ぶならPHBの呪文くらい暗記しろ」「ビホルダーの移動速度を暗記して無いのなんて有りえない」「機会攻撃を忘れるのが許されるのは初心者までだよねぇ」みたいな意見には賛成しない(笑)
TRPGが趣味である以上、強要されて勉める必要は感じていない。


でも、それは「TRPGに熟練する事に価値が無い」と言う意味では無い。
好きな物に熱中し、学び、試し、改善し、競い合い、高め合う意味はある。
そして、TRPGが多人数で遊ぶ趣味である以上、共に熱中し熟練しようと切磋琢磨する仲間がいると言う事には重要な意義がある。


ビギナーさんと遊んでいて、自分がかって通った道を楽しそうに遊んでいる姿を見るのは楽しいし、それがきっかけでTRPGという趣味を好きになってくれるのは嬉しい。


だけど、磨き上げたチームワークや試行錯誤を重ねた結果作り上げたデータが以前なら勝てないほどの敵を倒せた時の喜びや、巧みなキャラデータの組み合わせで想像の範囲外にあった個性的なキャラを見た時の感心など、積み上げた結果として現れる物もある。



ぶっちゃけると、たとえばPCがAという場所ではなくBという場所に移動したとして、そこには敵味方の戦力の理解とか、2手先3手先を考えた戦術思考とか、それを生かしてくれる仲間への信頼とかがあったりするのだけど、周囲の人がそれを理解していなければ、単なる「Bに移動した」というだけの話になる。


研鑽の結果「AではなくBに移動する」という能力を身につけた者としては、そこは理解して貰いたいのだ。



んー、どうも分かりにくいか。
例えば将棋のプロ(棋士)がビギナーさんと楽しく将棋をする事が不可能とは思わない。
駒落ちで遊んでも良い訳だし、意図的に飛車角狙いなど派手な打ち方でエンターティメントを狙っても良い。


だけど、棋士同士が真剣に打つ一局には、それはそれで別の価値がある筈だ。
定石を覚え、何度も棋譜を見直し、研鑽に研鑽を重ねた人同士でしか分からない素晴らしさ、面白さはきっとそこにある筈だ。


○○○
で、TRPGが熟練した時の遊び方を知るには、(上にも書いたけど)熟練した仲間が必要だ。


その為にも、同じ趣味を持つ仲間には熟練度を高める為に色々とサポートしたいと思う。


そう、ビギナーさんに親切にするのはボランティアでも無ければ滅私奉公でも無い。
「一緒に遊んで楽しい、もっと良いプレイヤーに育ってほしい」という個人的欲求だ。
勿論、相手が良いプレイヤーになった時に自分がつまらないプレイヤーになっていたら意味が無いので、自分の研鑽も忘れてはいけない。
自発的な意味で、一緒にTRPGを研鑽して互いに高め合って行きたい、と思うのだ。


その為には、やっぱりある程度は継続的に同じ人達と遊ばない事には、相手の良い所や悪い所を伸ばしたり修正したりするのは難しい。


勿論、広い意味ではコンベでTRPGプレイヤー全てのレベルを上げていけば、何れは自分の周囲も上がっていくのかも知れないけど、それは何か遠大すぎる目標だ(笑)



そんな訳で、TRPGをもっと楽しむには自分に加えて周囲のレベルアップも必須な訳で、その目的の為にはコンベでは今一つ十分では無い。
そこがコンベの限界なんではないかと思う。

 パブリックイメージと覚悟

「D&D3.5eはすぐPCが死ぬ」というパブリックイメージがある。


その影響なのか、D&D3.5eのビギナーさんと遊んでいると、他のシステムと微かに違う「覚悟」を感じる時がある。


すなわち「どれだけ話が盛り上がっていても無関係にPCが死ぬという覚悟」


これは中々面白い現象だ。



パブリックイメージというのは往々にして不正確であり、今回も例外では無い。
D&D3.5eのシステム(ルール)は確かにPCが死に安いが、よく「止めを刺す」アリアンロッドもあるし、死なないD&Dもあるので、個々のDMや卓の環境の影響は極めて大きい。


だから「D&D3.5eはすぐPCが死ぬ」というのは幻想みたいな物なんだが、幻想の効果も馬鹿にできない。


「D&D3.5eはすぐPCが死ぬ」という評判を聞いた上でD&D3.5eを遊ぼうと言う人は「自分のPCが死ぬかも知れない」と考えた上で遊ぼうとする人だし、GMは参加するPLを「自分のPCが死ぬかも知れない」と考えた上で遊ぼうとしてる人だと認識できる。


こうやって「すぐ死ぬ」という幻想を共有出来ている環境は破綻しにくい為大変遊びやすくて宜しい。
セッションの緊張感が上昇すると言っても過言では無い。


この幻想はD&Dというシステムの財産なので今後も大事に守っていくべきだろう。


ちなみに、この幻想。過去のDMとPL達が文字通り屍山血河を築いた上に成り立っている物なので、私もPC達を血祭りにあげる事に勤しんで行きたいと思う<ぉぃ


いや、ほんと、緊張感がある楽しいセッションを提供する為なんですよ?(純真な目で)


※友人達から「D&Dの死にやすさ」率について色々疑問を投げられたので、今度その事を書く予定。
 今回いいたいのは、そこじゃないんだー。