パブリックイメージと覚悟

「D&D3.5eはすぐPCが死ぬ」というパブリックイメージがある。


その影響なのか、D&D3.5eのビギナーさんと遊んでいると、他のシステムと微かに違う「覚悟」を感じる時がある。


すなわち「どれだけ話が盛り上がっていても無関係にPCが死ぬという覚悟」


これは中々面白い現象だ。



パブリックイメージというのは往々にして不正確であり、今回も例外では無い。
D&D3.5eのシステム(ルール)は確かにPCが死に安いが、よく「止めを刺す」アリアンロッドもあるし、死なないD&Dもあるので、個々のDMや卓の環境の影響は極めて大きい。


だから「D&D3.5eはすぐPCが死ぬ」というのは幻想みたいな物なんだが、幻想の効果も馬鹿にできない。


「D&D3.5eはすぐPCが死ぬ」という評判を聞いた上でD&D3.5eを遊ぼうと言う人は「自分のPCが死ぬかも知れない」と考えた上で遊ぼうとする人だし、GMは参加するPLを「自分のPCが死ぬかも知れない」と考えた上で遊ぼうとしてる人だと認識できる。


こうやって「すぐ死ぬ」という幻想を共有出来ている環境は破綻しにくい為大変遊びやすくて宜しい。
セッションの緊張感が上昇すると言っても過言では無い。


この幻想はD&Dというシステムの財産なので今後も大事に守っていくべきだろう。


ちなみに、この幻想。過去のDMとPL達が文字通り屍山血河を築いた上に成り立っている物なので、私もPC達を血祭りにあげる事に勤しんで行きたいと思う<ぉぃ


いや、ほんと、緊張感がある楽しいセッションを提供する為なんですよ?(純真な目で)


※友人達から「D&Dの死にやすさ」率について色々疑問を投げられたので、今度その事を書く予定。
 今回いいたいのは、そこじゃないんだー。