TRPGでの戦闘競技性


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・競技性とは、信頼性に支えらるものである。
(ルールが存在しない遊戯は競技として成立しない)


TRPGにおける信頼性は、マスターに対する物とルールに対する物がある。


D&Dは他のシステム(例えばダブルクロスやカオスフレア)と比較して、データが多く、ルールも多く、戦闘システムも厳密な為、ルールに対する信頼性が高い。


・マスターに対する信頼性が保障されれば、TRPGに競技性を実現できる。


・ルールに対する信頼性が保証されれば、DMに対する信頼性が無くてもTRPGに競技性を実現できる


・ゆえに、D&Dは他のシステムより競技性を実現できる事が多い


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要するに、TRPGシステムでオリジナルの能力や設定、データを作るシステムの場合、戦闘バランスは、そのままマスターのバランス感覚が反映される。
その結果、マスターはPC達が死亡した場合などの責任を高い割合で負担する事になる。
この責任を重く感じるマスターは、戦闘バランスを緩めにする事が多く、そこでは競技性が低くなる。


逆に、マスターがオリジナルデータで厳しい戦闘バランスを実現した場合でも、PL側に「このバランスはマスターの横暴ではない」という信頼があり、マスター側に「このバランスでも自分の横暴ではないとPL達が信頼してくれている」という信頼があれば、厳しい戦闘バランスを維持し、その結果を「競技の結果」として双方受け取る事が出来る。


具体例としては、多くのコンベでは上記のようなマスターとPLの信頼が出来てない場合が多いので、多くのマスターはリスク管理の一環として前者の緩いバランスにする事が多い。
後者の例は、リプレイなどに見られるセッションが該当するし、プライベートでのセッションであれば、同様に厳しい戦闘を潜り抜けている卓も多く存在すると想定できる。



コレに対して、D&D3.5eの様に和訳されたモンスターマニュアルだけでも3冊+1冊あるシステムではオリジナルの敵を作る必要が無く、敵を強化する方法もルールに規定してあり、
これらを逸脱したオリジナルモンスターを作るマスターはほぼ居ない。
また敵の強化した場合の制限も脅威度と言う形で規定してある。
この為、戦闘バランスに対する責任の一定量をルール側に求める事ができる。
その結果、マスターもPLも「ルールを順守しているのであればルールに準拠した戦闘バランスになる」という信頼を持つ事ができ、厳しい戦闘バランスとその結果を「競技の結果」として受け取る事が出来る。


これが具体例として現れるのは、コンベ終了時のセッション報告などでD&Dでは「今日はPCを3人倒しました!」などと言って拍手喝采を浴びる状況が散見できる事であろう。(特殊例である可能性は否定しない(笑))


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まぁ、本当のことを言うとD&D3.5eの脅威度もまた抜けの多いルールなので、DMがPLを蹂躙するのは簡単ではあるが、他のシステムに比べればPLが対抗できる範囲は広いだろう。
ただ、D&Dを遊ぶビギナーさんのかなりの割合でD&D3.5eの競技性に興味を引かれている気がするので、その競技性はどっから来るのかなーと思って書いてみた。
いわゆるFEARゲーだって超ガチな戦闘をする事は可能なのだけど、それを望んでいないPLさんが居る可能性があるので、FEARゲーでガチセッションをするのは、それ相応の準備が必要となるんだよね。(例えばガチGMとして名を売る、とか(笑))


と言う訳でD&Dの有利な点はデータ量に支えられたルールへの信頼性であり、それを生かす為に「ガチ」に努めるのが賢い運用かも知れないなー。
(勿論、それ以外を認めない、という意味では無いが)


●●追記●●
…ごめん。2ch見て、ようやく分かったわ。

その意図は無かったんだけど、確かにコレは「D&Dがサイコーなのだ!」と言ってるように見えたかも知れん。変な事書いて申し訳ない。

言いたかったのは「D&D3.5eはボードゲームっぽく遊べるよな」という程度の話なんだ。
別に「まよキンボードゲームっぽく遊べるよな」でも良いんだけど。
詳しくは翌日書いた日記の方へどうぞ。

(先月行ったカオスフレアとD&Dのコンベを比較した印象の感想が元だったから、つい)
(おっと、念のため言っておくと、これも「まよキン至上!」とか言ってる訳では無い)