初心者フォロー

初心者相手の卓に「初心者のフォロー役」として熟練者が入る事がある。
私はそれを無条件で良い事であるとは思わない。


初心者のフォローというのは、適切に行おうと思ったら大変細かく気を使わなきゃいけない事だし、難しい事だ。
だから「初心者のフォロー役」と言う肩書きには注意がいると思う。
良くある話題なんで見飽きた人もいるだろうけど、今日はそんな話。


○○○
話をする前に初心者の定義から。とりあえず今回は下記3種を考える。
TRPG自体が初心者:文字通りTRPGに不慣れな人。
D&D初心者:TRPGは馴れてるが、特定システムだけ不慣れな人。
自称初心者:実際は、D&Dにも慣れてる人。


もひとつ。フォロー内容についても定義しておこう。
助言:相手の行動について、適切な行動を助言する。
解説:ルールや世界観について、解説をする。
援護:自分のPCで、相手のPCをゲーム的に援護する。


○○○
まず「自称初心者」と「D&D初心者」については、問題ない。
彼らはTRPGに馴れてるので不満があれば勝手に対応するでしょう。
なので、彼らに対して「初心者のフォロー役」は常に有効だ。 まぁ、喧嘩をしない間はね(笑)


「援護」に関しては、相手の熟練度に関係なく有効だ。
これについても、感謝こそすれ否定する要素は何も無い。


「解説」も、大体の場合において有効である。
時々「TRPG初心者」の理解を超える分量の解説をしてしまう人もいるけど、それは簡単に制御できるのであまり問題にならない。
こういう人もいてくれるとマスターとしては大変助かる。


問題となるのは「TRPG初心者」にたいする「助言」。
これは結構デリケートな話になる。


○○○
例えば「その移動は良く無い。こう移動すると機会攻撃を受けないよ」と 言うのは「「TRPG初心者」に対する適切なフォローでは無いと思う。
むしろ有害。


TRPG初心者」は、TRPGに対する知識も経験も無い人のことだ。
知識も経験も無いという事は、判断基準を持たないと言う事になる。
判断基準を持たない人が「最善手を助言」されるとどうなるか?
答えは「その助言に従う」しかない。
当然だよね? 判断する為の判断基準が無いんだから。


これは、将棋をする際に後ろから口を出されている状態に等しい。
この場合、ゲームを楽しんでいるのは口を出している人であって、その人に指示に従って将棋の駒を動かしている人ではない。
(観客として楽しむかもしれないが、それはプレイヤーの楽しみではない)


この場合に厄介なのは、その助言が「明確で適切」であればあるほど「TRPG初心者」による再考を必要としない点にある。
黙って言う事を聞けば最善の結果がでるのなら、判断基準の無い人が反論するのは難しい。
間違っているなら、まだ反論する余地もあるのだけど。


そして、更に厄介なのが「助言」の多くが善意でなされる事だ。
悪意は振り払えば良いけど、善意は拒否したくない。
まして「その助言は正しいからダメなんだ」なんて言い辛い。
・・・これは、私が気が弱い訳では無いと思う。


○○○
「助言」の価値は、受け取り手の問題でもある。
「その移動は良く無い。こう移動した方が機会攻撃を受けないよ」という助言も受け取り手によっては、大変有効な助言だ。
助言を受けた人が自分で、その意味を判断できるなら「助言」の価値は高い。
でも、助言者本人がそういう意図は無かったとしても、受け取り手によっては「助言」が「指示」になる場合もある。


TRPGの楽しみ方は色々あるし、特定の愉しみを否定するつもりも無いが、 少なくとも「言われるままに駒を動かし、ダイスをふる"だけ”」では、 TRPGの楽しみ方としては、どうなんだろう?
自分で考えて、自分で動くからこそ楽しいんじゃないかな?


極端な話、何にも判って無いTRPG初心者が集まって、デスダンジョンに 突撃して、馬鹿な事をたくさんして全滅したって面白かったりもする。
有利な事、PCの生存、ミッション達成だけがセッションの成功じゃない。
私はそれより「全員が自分の意見を言えること」の方が、セッションの成功、つまり「全員が楽しかったと思う事」に繋がると思う。


○○○
という訳で、「初心者のフォロー役」には「助言」の仕方については よくよく考える必要があると私は思う。


初心者相手に、あるいは友人に、趣味を同じくする人に「優しくしたい」「助けになってあげたい」という欲求はあるし、それは尊いと思うけど、 最善手の助言が、最適とは限らない とは思うのだ。


教育は難しいと言うけど、趣味の世界でも他人を教え導くのは難しい。
だから、初心者のフォローをあまり簡単に考えるべきではないね。
少なくとも「正しい事を言ってれば良い」と考えるのは短絡的だ。


ガンダルフは「忠告は賢者から賢者に与えても、危険な贈り物だ」と言ってるけど「助言」も使い方を考えなきゃダメなんじゃないかな。


○○○
で、誤解されそうなんで補足をしておく。
「初心者対応をあまり簡単に考えるべきではない」けど「考えすぎる必要も無い」(ぉぃ
いきなり意見が覆ってるが、これも私の偽りの無い意見だ。 <こっから偏った意見>
そもそも、初心者卓に熟練者が「初心者のフォロー役」として入るのがいけないんだよ(暴言
変な事考えずに、良いプレイヤーとして参加すればいい。 熟練者の腕の見せ所だ。
正しい知識を言いたいだけなら、サブGMとして参加すれば良いじゃないか。


初心者が求めるのは、熟練者の希望と同じく「一緒に遊んで楽しい人」
で、一緒に遊んで楽しい人ってのは、ルールに詳しい人でも、安全な手順を指示してくれる人でも無い。
楽しさは、言動、言葉遣い、気配りや手間、知識、その他の複合要素だ。
その要素の中の一部として「助言」や「解説」「援護」がある。
「初心者のフォロー役」という要素だけ取り出して良い事してると思われても困る。


私は自分がマスターする初心者卓に熟練者はくるな、とは思わない。 楽しいゲーム仲間としては大歓迎だ。
初心者が気づかないような危険を鋭く見抜いて、"PCとして"さらっと「援護」してくれるのは嬉しい。


ただ空気を読まずに「指導碁」「指導将棋」をする人はいらんとも思う。
「正しい事」「勝つ事」と「楽しい事」はイコールじゃないと思うね。
人に何かを教えるのは、ある種の優越感につながるし、そこまで行かなくても「親切にする事」自体に酔う事もある。
太宰治も優しさは人を憂うと言ってるけど、自分の行いが自己満足でなく優しさなのかは常に自戒すべきじゃないかな。
中々難しいけど私自身も常に優しく在りたいな、と良く思う。 楽しいセッションの為に精進しよう。