感想の価値


今日はストレートに、褒められると嬉しいな、という話。

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なんかまたややこしい話を書こうと思ってたんですが、ある人にBlogを見て思い出した事を書きたくなったので。


TRPGでマスターをすると、大体は楽しい時間を過ごせます。
(勿論、大惨事だって何度もあるけど)
で、面白ければ、プレイヤーさんたちに「面白かったです」と感想を頂く事も多いです。


正直な話、そういって貰えると嬉しいです。
自分は結構素直じゃない性格をしていると思っているのですが、それでも意外なほど嬉しくなります。
もっとゲームしたいと思うし、もっとマスターしたいと思います。
意外に、単純な生き物だよね。


・・・でも。
ひねくれ者の私は同時にこう考えます。
「60点でも合格なら楽しいと言うよね」「人間関係を考えれば、大抵は面白かったと言うもんだよ」
大変心が貧しい人物の考え方であり「楽しかった」と言ってくれた人達に対する侮辱だろうとも思います。

楽しかったと言われて最終的には嬉しくなるので「ひねくれた想い」はほんの僅かな物なのでしょうが、何事も疑ってしまう性格がどうしても邪推をしてしまいます。


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それでも。

今までちょっと覚えて無いくらい色んなゲームでマスターして来ましたが、何度か手放しで楽しんでくれた事を感じられる時があります。
思い出すだけでも、何故か私が恥ずかしくなる様な100%混じり気の無い楽しんでる様子が。
(今、思い出しても恥ずかしいや(笑))


別に、相手に特別な意図は無かったのでしょうし、セリフ自体特別でもなかった筈です。
それでも、深く深く胸に残り消えることの無い想い出となってその言葉は存在します。

私はこれからもゲームマスターをするでしょうし、ゲームが好きでいると思います。
理由はひとつでも無いし不変の物でもありませんが、はっきりしているのは、あの「面白かった」という一言の感想が理由のひとつとしてこれからも残るだろうという事です。


「面白かった」という言葉が100回に1つ、1000回に1度しかストレートに相手の心に届かなくても、たった一度でも届く可能性があるなら「面白かった」と告げる事には十分に価値があると思います。


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つまり、ちょっとでも面白かったと思ったら「面白かった」と伝えようという話です。
社交辞令っぽく見えても、言わなくても判ってるだろうと思ってもね。