魂のTRPG

のっけから胡散臭いタイトルですが、真面目な話です。
先日ある人達と話した内容が刺激的だったので、一度自分の意見を文章にまとめてみる事にしました。


TRPGの遊び方は様々な方法がありますが、いわゆる『FEARゲー』と呼ばれる分類があります。
ハンドアウトを使用し、お約束の燃える展開を楽しむ、どちらかと言えば厳密な再現性よりも、ストーリー性を
優先するような遊び方、として『ストーリー優先ゲーム』とここでは定義しておきます。


ストーリーを楽しむセッションをする為にはハンドアウトなどを駆使する『ストーリー優先ゲーム』が推奨されます。
例えば下記の様はハンドアウトがあったとします。
『あなたには幼馴染の恋人がいる。 あなたは彼女を守らなければならない』


このハンドアウトを選んだPLが「俺のPCは年上趣味なんだよね。同い年に興味ない」と言い始めたなら、それは
ゲームの特性を理解していない、不適切なプレイングになります。


ハンドアウトは、そのセッションの方向性を明確化する為のものであり、PLはハンドアウトに沿ってPCを作成し、
プレイングを行い、GMはハンドアウトに沿うシナリオを作成し、マスタリングを行ないます。
この様にお互いがハンドアウトなどを中心に寄り添う事で、「ストーリー性」を優先したセッションが可能になるわけです。


ところが、ここで問題になるのが『魂』の存在です。
魂、魂と繰り返し言っても分かりにくいでしょうが、ここでの『魂』とは「PCの視覚や聴覚に留まらない、飢餓や渇きなど
もっと生々しい感覚、単純な好悪に留まらない繊細で複雑な情感」と考えて下さい。


『ストーリー優先ゲーム』でも『魂が犠牲になっている』事が多いのは自覚しておいて損は無い事だと思います。


PLがハンドアウトに沿ってプレイングしたとしても、「幼馴染の恋人」がいるという状況をどの程度実感出来ているでしょうか。
「彼女を守らなければいけない」という展開をどれくらい生々しく考えられますか?
別の例でいえば「高Lv魔法使い」のPCを作成したとして「初めての戦いの恐怖と興奮」とか「長い下積み時代」、そして
「段々強くなってきた実感」などを、どれくらい肌で感じられるでしょうか。


これらの感覚はPCがPLと縁遠い存在であればあるほど共感しにくくなっていきます。
中々、ロボットが燃料を補給する時の感情や、獣人が人に感じる共感や隔意を感覚的に理解するのは難しいですし。
逆に異性みたいに、まったく違う性でありながら常に理想化してる為に共感できる設定もあるでしょうが。


この『魂(PCに対するシンクロ性)』が、ストーリー性を味わう楽しさや、自分と異なる存在を演じる楽しさ、遊びやすさ、
事故率の低さなどと引き換えに『ストーリー優先ゲーム』が犠牲にした物です。
(この取引自体は、私は悪くない選択だとは思います)


この魂が無い状態が『酷くなる』と、PCやNPCは記号化し(主人公、ヒロイン、ボス)などとなって、燃え展開も
どこかのマンガの再現大会になります。
私の場合、この状態になるとPLの視線は冷たくなり、「あとどんな台詞言えば良いんだっけ?」の様な義務的な
プレイングになりがちです。
一般的なノリの悪い状態という定義を知らないのですが、この状態がいわゆるノリの悪い展開だと思います。


プレイング自体にも一貫性を欠き、説得力の感じられない行動、心理的に共感しにくい言動などが増える筈です。


もし、自分のPCが今ひとつ動かしにくいと感じる時は、そのPCに魂が無い(シンクロ率が悪い、内臓感覚がずれてる)
場合を疑ってみるのが有効だと思います。


この『魂が無い』を回避する手段も同様で、自分の正確に似た、あるいは自分の演じやすい設定のPCをする事です。
この際、PLが演じたいPCと、演じきれるPCに大きな差異が発生する事もありますが、そこは十分自覚をして
魂の無い記号の様なPCを演じる事の無いように配慮するべきなんだろうと思います。


繰り返しになりますが、私は『ストーリー優先ゲーム』を否定する気はさっぱりありませんし、ハンドアウトも良い物だと思ってます。
ですが『至上の物であり、疑問も不満も持つ余地は無い』とは言えないとは考えています。


より楽しくTRPGで遊ぶ為に、自分が魂を共有できるようなPCを作って遊んでいく方が良いかな、と思っているだけです。

まぁ、ハック&スラッシュな戦闘ゲームとして遊ぶ時には、そんな事は考えませんけどね。