マスターレスTRPG

ふとマスターレスなTRPGと言う物の存在を考えた。
幾つかの限定された状況であれば、マスターレスなTRPGは成立しそうな気がする。


現存する遊びの中で、もっともマスターレスTRPGに近いのは、私の考える所ではナリ茶である。
ナリ茶もピンキリで様々な種類があるが、バトル可能なオリジナル、長文推奨ストーリー系の
ナリ茶が今回の話題には一番相応しいと思う。


そのナリ茶では常にゲームを支配しルール裁定や状況説明などを行なってくれるマスターは存在しない。
ルールもダイスを振るなどが存在しないシステムも数多くある。
だが、その世界では普通にバトルが行なわれ、勝者と敗者が存在する。


ナリ茶に参加するプレイヤーは主に一対一で遊ぶ事が多く、判定の多くは相手のレスで確定する。
つまりPC1が「PC2を殴ろうとする」と行動しPC2が「PC1に殴られて吹き飛ぶ」とレスを返せば、
PC1の攻撃判定が成功した事になる。
この行動判定を成立させ、成功させた物は何か。答えは共通認識という言葉の中にある。
今回の場合、PC2のプレイヤーがPC1の行動が成功するのが相応しい、と認識した為に判定は成功している。


これをマスターレスなTRPGに盛り込めないだろうか。
大きな問題は共通認識が出来なかった場合の対応についてだ。
ナリ茶でも共通認識を形成できず「俺のPCは絶対無敵だ」「私のPCは常勝不敗だ」との認識がぶつかり
「無敵PC」が発生する場合がある。
これが発生するとそのPCは避けられ、遊んでくれる人がいなくなる事で淘汰されていくのだが、
これをそのままTRPGにするのは、ちょっと厳しい気がする。


そこで私が考えたマスターレスなTRPGの参加人数は3人だ。 これ以上多くても少なくてもいけない。
何故なら3人という数字がチームとして意思決定を行なえる最小単位だからだ。
共通認識が発生しなかった場合の対策として、行なってはいけない物が二つある。
一つはルールでの束縛であり、もう一つは多数決である。


ルールで束縛する場合、行きつく先はコンピュータRPGである。
TRPGの良さはルール認識した上でそれを超える事であるので、ルールでの束縛をきつくする事で
共通認識を得ようとする事は、創造性を阻害する。
(まぁ、だから戦闘ルールだけルールを細かく、といった狭い分野ならアリかも知れない。
 実際、現在のTRPGで模擬戦闘なんかはマスター無しでもしてる訳だし)


多数決は一見平等だが実際は少数意見を圧殺する為の手段だ。
これは容易に多数派の横暴を生み、共通認識の作成を疎外し、ゲームを破綻させる。
横暴を抑制できるマスターがいないマスターレスTRPGでは、判定結果に対する全員一致の賛成でのみ
運営されるべきだ。


・・・と、ここまで思いついた事を適当に書いていたが、本当に遊べそうな気がしてきた。
少しマジメに考えてみようかな。