新旧マスタリング

ずいぶんと間が空いてしまったけど、また落書きをしたい気分になったので更新。
今日はマスタリングのテクニックについて。


赤箱などクラシックD&Dなどから始まった私のTRPG経験の初期の頃に聞いた
マスタリングのテクニックは大雑把に要約すると一文で表せた。


「押し」と「引き」を使え。


当時のマスタリングは結局これと、GMがルールだという黄金律だけだった気がする。
このマスタリングの基本は教科書のように正しい意見であり、当時は有効であった為
言葉を変えては何度も何度も繰り返し教えられてきた。
いや、今も有効なテクニックとして伝えられ、広められている。


私もその有用性は認めるし価値を否定する気も無いが、少し気になる点がある。
端的に言って『「押し」と「引き」で動くマスタリングはもう古い』のだ。


いわゆるストーリー志向、ロールプレイ重視という遊び方が日本のTRPG界に広まって
もうかなりの時間がたった。
RPGの裾野は広がり多くの人たちがRPGを遊び・・・マスタリングの方法について悩んだ。
そして先達の声として「押し」と「引き」で動くマスタリングを学び、そして事故ってきた。


この原因の大きな要素として「ノリ」と呼ばれるベクトルが存在したのは事実だと思う。
GMを含む参加者のこの「ノリ」についての相違がセッションを事故らせてきたのだ。


これに対応すべくFEARなどは「ハンドアウト」「ロイス」「登場判定」など様々な
ルールを打ち出して、「ノリ」という要素をコントロールしようとしてきた。
これに対して、マスタリング技術として「押し」と「引き」よりベースとすべき技術が
認識されるようになってきた。
それが「卓上のコンセンサス」と呼ばれる技術だ。


従来のTRPGと近年のノリ重視のTRPGの違いは、そのコンセプトにある。
D&Dを行なう際には「危険なダンジョンに挑む冒険者」を演じる物であり、
そこに必要なのは鋭い閃きと抜け目の無い用心深さ、怯む事のない勇気だった。
だが、S=Fで演じるのは「世界を救う勇者達」であるかも知れない。
そこには、足手まといになるであろう幼馴染などが必要になる。


非情になりきって切り捨てるのがもっとも安全性が高いと分かっていながらも、
かっての親友を信じて武器を捨てるのは「世界を救う勇者達」に必要な行為だからだ。
これは最善手を打たない手加減でもハンデでもない。 それが唯一の正解だから。


「世界を救う勇者達」というノリで遊んでいる時に、常にもっとも有利な行動だけを
取り続ければ、それはマンチキンという蔑称で避難される。
同時に「危険なダンジョンに挑む冒険者」というノリで遊んでいるのに関わらず、
罠も危険も顧みず突進するのは、暴走してる、と馬鹿にされるのだ。


TRPGが広まる過程でその多様性も大きく広がった。
以前は単一であった為にズレる事の無かったノリというベクトルが重要になったのだ。
そして、「押し」や「引き」よりも先にそのセッションのノリのベクトルを決定する
「卓上のコンセンサス」を取る事が重要になったのである。


マスターは、セッションを始める前に今回はどんな遊び方をするのかを意識する必要がある。
「ゲーム性を重視してガチで遊ぶ」のか「ストーリー重視で燃える展開を目指す」のか。
そして、それを卓の全員に合意を取る。


それが出来れば、その後に「押し」や「引き」を使ってマスタリングを行なえば良い。


「キャラクタープレイ」「吟遊詩人GM」「暴走プレイ」「マンチキン」「なりきり」など
セッションが事故る原因の大きな要素となるこれらの現象は、結局「卓上のコンセンサス」を
取る事で回避できる問題なのだ。