絢爛舞踏祭(PS2)

絢爛舞踏祭というゲームがもうすぐ発売される。


以前ちょっと書いたAの魔法陣を出してるアルファシステムのゲームだ。
あんまり特定のメーカーについて傾倒するのは個人的に好きではないのだけど気に入ってるんだらしょうがない。
そう割り切って、少し宣伝をしてみようかと思う。


ガンパレード・マーチが発売されネットで騒がれた時に「プレイヤーが何をしても良いゲーム」として騒がれた。
今回の絢爛舞踏祭も路線は同じで「プレイヤーの手に余るような選択肢」を用意する事で、プレイヤー自身に
取捨選択をさせ、自分で面白さを探させるようなゲーム構成のようだ。
この辺は、古い名作ゲームに似ている気がする。 


Wizardryという古い名作ゲームがある。たぶん名前くらいは知っているのではないだろうか。
白黒でフレームなダンジョンにもぐり延々と戦闘を繰り返すだけのゲームなのだが、今でも遊び続けている人がいる、
世界でもっとも愛されたコンピュータゲームのひとつだと思う。


Wizardryの魅力は色々あるのだが私が思うのは、その想像力の広げる空間の広さ、自由さだと思う。
Wizardryはダンジョンに潜って戦闘を繰り返すだけの自由度の少ないゲームだが、様々な仕掛けを用意する事でプレイヤーの
想像力を刺激し、個人個人での遊び方を開発させる。
ある人はMAPを全部手書きする事に気合を入れるし、経験値を稼ぐ事に頑張る人も、アイテム収拾に時間を注ぐ人もいる。
私は弱いPCが好きなので、何度も新しいPCを作っては地下一階から探検していく事を楽しんだ。
絵も音も今と比較すれば技術的にはるかに未熟なゲームは、こんな風に熱狂的に今もプレイヤーの心を掴んで放さない。


ゲームの面白さという観点で見ると、綺麗なCGも映画のようなムービーも練りこまれたストーリーでさえプレイヤー個人の
想い入れという想像力の前には屈せざるを得ないという事をWizardryは証明している。
長く遊ばれ、愛されるゲームというのは映画や小説よりももっとプレイヤーに近いゲームなんだと思う。


で、ようやく絢爛舞踏祭に話が戻る。
絢爛舞踏祭は遊びにくいゲームなのだと思う。
私も友人が「面白さがわかるまで何時間も掛かるゲームなんでしょ?」と言われた時にすぐに否定はできなかった。
勿論、まだ遊んでないので根拠が無かったせいでもあるけど、Wizardryと同じように個人の遊び方を見つけないと楽しめない
ゲームなのではないか、と思ったのが正直な所だ。


勿論、アルファシステムでもチュートリアルを用意したりして遊び方をフォローしているし、得意のWeb展開も行なっている。
でも、やっぱり最終的には絢爛舞踏祭をどうやって遊ぶかはプレイヤーが決める事になると思う。
そこに必要なのはゲームがしたいという欲求であり、漠然と遊ぶには向いてない分どうしても敷居は高くなるだろうな。
自分で目的を見つけると言う点ではネットゲーム(MMO)にも似てるかも知れない。
ネットゲームは、すぐに飽きて止める人がいる一方で、中毒と言われるほどやりこむ人も多い。
絢爛舞踏祭もこんな風に、両極端に走るのではないだろうか。


その敷居の高さに対するささやかな支援活動として、絢爛舞踏祭のプレイ日記をこっそり書こうかなとも思ってる。
多少とも援護になって、絢爛舞踏祭を楽しんでもらえると良いのだけど。

ちなみに、どんなゲームか興味がある人はデザイナー自身が遊んでいるプレイ日記「新芝村戦記」を見るのが良いと思うな。